下村良之介

1923 - 1998

下村良之介

下村良之介アトリエ 2025年

制作中の下村良之介

制作中の下村良之介

アトリエの下村良之介

SHIMOMURA RYONOSUKE

下村 良之介

画家 下村良之介(1923-1998)の画歴は、1936年4月の京都市立美術工芸学校入学にはじまる。5年間にわたって同校で日本画を勉強した後、1941年4月に京都市立絵画専門学校に進学、さらに2年の歳月を画学生として過ごす。1943年9月に学徒動員の為、繰上げ卒業し、11月に入営。関東軍に所属して、満州、台湾にて2年半の軍隊生活を送り、敗戦後の1946年3月に帰国する。その後、下村は中学校の美術教師、大学教員と、教育者として社会で尽力しながら、戦後に勃興した前衛美術運動の中心に立ち、日本画の革新活動を積極的に推し進めてきた。1948年からは美工・絵専時代の同級生、先輩、後輩らとパンリアル美術協会を立ちあげ、そこでの活動を基軸に、前衛美術運動の牽引役を生涯担いつづけた。下村の制作発表は、国内にとどまらず、ひろく海外に発展、1998年末に75歳で死去するまで、絵画制作にとどまらず、版画、陶芸……と、多ジャンルを横断して積極的に創作活動を行い、さらには異文化対談、エッセイ、テレビ出演といった幅広いマスコミ対応を長年にわたり引き受けてきた。いわば下村は、第二次世界大戦をはさんだ日本の昭和の歴史そのものを体現した美術界の重要人物である。
その下村の特筆すべき点は、資料、特に紙資料というものの重要性を、幼いころから認識していたことにある。下村家には下村が生まれ育ってから折に触れて撮影された写真が多数残されているのはもちろんのこと、小学校時代の文集にはじまり、美工時代の自費出版雑誌、学校だより、軍隊時代の写真、日記、手紙、帰還にあたっての書類一式、戦災届、配給手帖、新聞雑誌、印刷物といった膨大な量の貴重資料が、紙ぺら一枚にいたるまで大切に保管されてきている。また下村が学んだ美工が、生徒に日記を書かせることを教育の一環としていたこともあり、下村の手による日記には戦前の画学生のこころの動きがつぶさに書き留められている。美術学校をあげて軍に協力しなければならなかった時代の授業の様子や活動についても、時間割の記述に及ぶまで大変くわしく記録されており、その内容は、一画学生の日記以上の、歴史的価値を持つと考える。しかもそれらの保存状態は大変良い。以下の略歴は、より多くの方に下村良之介及び下村資料に興味を持っていただくべく作成したもので、とくに戦前戦中戦後の画学生としての記述に重点をおいたものである。

本ホームページは下村良之介がのこした資料の保全・整理・調査の結果の一部を公開するものである(以下「資料一覧リンク」より閲覧)。2024年度公益財団法人小笠原敏晶記念財団 調査・研究等への助成によって作成した。

本ホームページは、下村良之介がのこした資料の保全・整理・調査の結果の一部を公開するものである。
資料は整理中のため、一部の公開となっていることをお断りしておく。